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石井のおとうさんありがとう〜石井十次の生涯〜記者会見とTシャツ展

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 映画「石井のおとうさんありがとう〜石井十次の生涯〜」製作発表記者会見 IN ホテル日航東京その1

かねてよりユニに仕事を手配してくださってるS社さんの関係でいってまいりました。映画「石井のおとうさんありがとう」の製作発表会見。ホテル日航東京はお台場、ゆりかもめの「台場」駅を降りてすぐのところ。久々のお台場は快晴で、2月下旬というのに、もう春のような日ざしでお散歩にはうってつけ。忙しい仕事が続いてたのですが、ほんのひととき、くつろいだ時間でもありました。
 さて、この映画、サブタイに「石井十次の生涯」とあるように、石井十次なる人物の伝記映画であります。では石井十次とは?、というと、ほとんどの人は知らないのではないかと思うけど、日本ではじめて孤児院を作った方。資料によれば「福祉」という言葉すらなかった時代に、自分の信念でそれをはじめた偉人なのだということ。
 そんな石井さん、なぜかいま名前を知られてないが、それは当日の会見で、山田監督もおっしゃってたが、戦前の「修身」の教科書に石井さんのエピソードが載ってたためだ。そのエピソード、別 に戦争とは関係ないのだが、「修身」に載ってたというだけで、イコール戦争協力者、ということになり、戦後の「教養」の中から抹殺されたということらしい。だから知られてなくて当然、なんだけど、そこでこの映画によって、石井さんを改めて知らしめ、その業績を再評価しようというわけなのだ。
 というと、なにやら真面目くさっただけの教育映画と、思われるかもしれないが、実はこの映画の脚本(初期稿)を読ませていただいた私。はっきり言って、かなり面 白い。エンターテインメントとしての面白さが当然ありますが、そこには「なぜいま石井十次なのか」ということも絡んでの知的関心を引き起こすものがあります。
 まずこの映画のドラマ的な面白さといったら、石井さんの特殊な、ある意味「異常な」というべきキャラクター。放浪のお遍路さんから子供をあずかったのをきっかけに、周囲の反対も聞かず、次々と続々と孤児たちをひきとり、孤児院を開設。最終的には何千人規模の「孤児村」をつくりあげてしまう。ただの個人がそんなことをやろうとしてもまず無理としか思えないが、「なんとかなるさ〜」という感じでそれがなんとかなってしまう。ストーリー上の御都合主義ではなくて、実際の歴史上のできごととしてなんとかなっちゃった(笑)わけだから、説得力もある。その課程はその運営や生活をそもそもどうするのかという現実的な問題、そして周囲の反対や村八分的ないじめなどとの過酷な戦いであったりするのだが、石井さん自身の陽性のキャラクターにより、逆にわくわくする冒険として描かれていく。
 この映画は、そういう意味でのエンターテインメントだが、肝心なことは、そんな特殊なキャラクターによるものとしても、ほんとうにただの個人がそういうことをなしとげた、という事実だろう。偉いとか、無謀だという評価よりも、現代であれば「そんなこと国か福祉団体がやることだろう」という考えがまず頭をよぎる。それは「福祉」がいまや「文化」として認められ、「制度」となっているからだ。 「文化とは何か」といえば話は長くなるのだが、ようするに人が行動する時の土台となるような「フォーム」とでもいうべきものだろう。それはハッキリと意識されたり文章として明文化されたものではなくて、むしろ「暗黙知」とでもいうべき無意識の領域にある。ただそれを行う時、そうすることが「まっとうだ」と自覚できるような、そういう様式なのだ。しかし「福祉という言葉さえなかった時代」とされる石井の時代、孤児を救うことそのものの是非はともかくとして、石井のような行動をとることは「まっとう」とは思われなかったのだ。つまり、まだ福祉ということが(言葉としてない以上、当然だが)文化として人々の中に存在していなかったのだ。
 逆にいえば、石井のような「異能者」が現れてはじめて、世の中との軋轢を生じつつも、結果 として福祉という「文化」が創り出されたということなのだ。ここには、あらゆる文化は個人の関与によってしか創り出されえない、という真実が描かれている。個人の関与〜パーソナルコミットメント〜とは、単なる関わりや取り組みというよりも『オムレット』風にいえば「情熱的関与」というべき個人の創造的な関わりのことだ。画家や音楽家の伝記映画では、たいてい、それぞれのクリエーターがいかに孤独と戦いつつ、「文化」を創り出したかを描いているが、この映画のみどころもそこにあるといえる。創造する個人とは原理的に孤独な者だ、というより、創造とは原理的に孤独なものだということだ。これはどんなに「協同的な作業」が重視される現場であろうと関係がない。どこかで一瞬であれ、人が孤独に、ようするに自分一人の責任において決断的に行為するという局面 がなければ、そこになんの創造もありえない。
 そしてもうひとつ肝心なのが、すでに言ったように、今ではそのことが文化である以上に「制度」になってしまっているということだ。制度になったとき、それは(たとえば福祉などは)安定的に運用されるという意味ではいい面 もある。しかしそれは個人の行動様式としての「文化」からははなれていってしまう。それは「制度」ということが悪いのではなくて、たぶん、文化を個人の創造的な関与として継承していくような仕組み(教育を含めて)が存在していなかったせいでもあるだろう。石井の異能者としての行状を主題にしつつ、この映画が語るのは、実は石井ならぬ 個人個人、普通の人々の文化への参入がなければ、なにも始まらないという教訓だ。それが「なぜいま」石井の映画なのか、ということの現代的な意義なのだろう。
 というわけで、まだ見ぬというより未完成の映画について評価を断じてしまったが、それだけ期待できる作品といえるだろう。石井十次について興味のある方は、この映画の原作となった「岡山孤児院物語」の新聞連載バージョンが山陽新聞 のサイトに掲載されているのでご覧ください。

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上野陽介さんも参加されている、グループ展初日(in GARAGE-B)のパーティーに行ってまいりました。
上野さんの作品は一点一点を手書きでペイントされているもの。すばらしかったです。やはり、上野陽介=画家なんだな〜と実感。
グループ展だったので、色々な方とお話ができて楽しかったです。
5月9日まで開催中ですので、まだ、間に合いますよ!  


2004年04月25日 10:51 by unicahier | コメント (0) | トラックバック (0)  

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