ユニカイエ

ひるますはどんな Macを使ってきたのか? 1

このところのユニの話題というとMacというよりはiPhoneなのだが、iPhoneってなにかといえば、私にとっては「Macの一部」にして「究極のMac」なのだ。どういうことかというと、私のイメージするMacというのは二つあって、一つはもちろんDTPなりWEB制作のためのデザインツールであるが、もう一つは手帳としてのMacであり、この一方が進化したものがiPhoneだということになる。というわけで、ここでiPhoneへ至る道、としてのMacを振り返ってみようという次第なのだ。


さて、私のMac歴は長い。あれは忘れもしない1993年の春、カラークラシックの発売とほぼ同時に購入したのが、そもそもの始まりであった。このカラークラシック、いわゆるカラクラは、性能的には最低レベルで、いろいろと悪評もたかく、買い物としては失敗なのだが、そんなことはまったくお構いなしに、この時、この時代にMacと出会い使いこなしていたという経験は何事にも変えがたい価値があったと思える。


なぜカラクラだったのかというと、ようするにこれが初めて普通の人が買える(カラーの)Macだったということなのだ。カラクラ発売時には同時にLCシリーズというモニター別のエントリーモデルも発売されたので、こちらでもよかったのであるがカラクラにしたのは、微妙に安かったという懐事情による。しかしそれでも20数万円はしたのでスゴイもんである。いまならiMacのかなりいいのが買えてしまう。しかもこれ、知ってる人は知ってるだろうが、メモリがたった4MBで、そのままではOSしか動かず、メモリ増設は必須にもかかわらず、なんと10MBまでしか認識しないというシロモノなのであった。これをどうしたんだか忘れたが、結局12MBに増設して2MBはムダにしていたのを憶えている。当時のメモリは1MBあたり一万円ちかくしたので、これもくやしいことであった。


さて、当時は記憶が定かではないが、まだフォトショが2.0、イラレが3.0くらいではなかっただろうか。それ以前にデータで入稿するという環境も発想もなかったので、これでデザインをするということは考えられないことなのであった。ところで93年というと、すでに私はコミックモーニングにマンガを発表してマンガ家としての足がかりを得ていたのであるが、パソコンでマンガを描くなどということは、さらに考えられもしないことであった(今ではコミックスタジオがスタンダードになりつつあるのだが…)。これよりかなり時間がたって、デジタルのスクリーントーン(パワートーン、いまはコミスタに組込まれている)が出て、かなり画期的だったが(スクリーントーンがバカ高かったので)、それでもこれで入稿するという状況ではなかった。その後、私の『オムレット』(99年刊)は、Macで作成しているのだが、これは手描き原稿をスキャンしてフォトショップで加工、パワートーンでスクリーントーンを貼り、これをすべてクオークエクスプレス3.3に貼り込み、クオーク上でネームを配置したものなのだ。しかし、なんとこれをいったん、フィルムで出力し、それを印刷所に持ち込むというアナログ的な手間があったというのがその当時というものを象徴している。つまりCTPってまだ普及してなかったのだ。しかし、ちょっと先に進みすぎたので時間をもどす。


カラクラ時代は、そんなわけで、せっかくMacでありながら、グラフィックなクリエイティヴとはあまり関係がなく、しかし、そもそもカラクラではそんなクリエイティヴな作業は無理であるからして、きわめて順当な在り方として、私のMac生活はあったのであった。で、グラフィックなクリエイティヴでなければ、なにに使ったかというと、やはり原稿書きなのだ。というのも私の中ではマンガを書くという事よりも、哲学というか批評といったものを「書く」ということが先にありきであったからだ。当時はネットもブログもなかったので、私はワープロで打った原稿を切り貼りしてコピーした「新聞」のようなものを作っていた。これが「月刊ひるます」という、私のペンネームのもとになった個人紙(フリーペーパー)なのだが、この一部は私の「臨場哲学」サイトに再録しているので、ご覧いただきたい。で、これをワープロで作っていたという、その「ワープロ」って何よ?というと、これがズバリ「ワープロ」という機械だったわけで、話はそこに遡っていかなくてはならない。


私のワープロ歴の最初はカシオの最初期のポータブル機(タイプライターのような形のもの)で、なんと液晶画面の文字表示が「10文字」しかなかった。表示が10文字なので、ようするに書いている文章の全体などまったく見えず、現時点で変換する前の入力した文字が見えているだけなのだった。当然、連文節変換などできなかったので、直前に入力した文字が見えてれば実際には使う上で問題はなかったのだが…、事実、この10文字表示のワープロでかなりの分量の文章を書いていたが、その後に買い替えた上位機種のワープロにしてから作成した文章量はそれに比べるとかなり減ってしまったのだった。買い替えた機種というのは、エプソンのワードバンクとかいうシリーズで、別売でハンディスキャナが使えるというのに惹かれて購入したのだった。ハンディスキャナで画像をとりこめば、コピーして切り貼りせずにフリーペーパーが作れるではないか?と思って購入に走ったのだが、もちろんスキャンしたところでDTP的な機能はないし、そもそもハンディスキャナの性能がダメで、まともな形にスキャンすることができないという状況で、これは大失敗に終わった。液晶表示も格段に進化して、40文字×何行かの表示になり、原稿用紙に書くくらいの文章の流れを目で確認できる状態になったのだが、これで逆に書くことが少なくなってしまったのは、あの「10文字」というのが極端な制限からくる驚異的な集中力とでもいうようなものを引き出していたのではないか、という気がする。たしか荒俣先生が、かつて手書きで原稿を書いていた人たちは、たとえば原稿用紙何枚というと、全体の構成を把握しつつ、その何枚というところでピッタリ収まるように書く事ができた、という能力を「一種の超能力」という風に表現していたが、そういう能力に近いものだろうと思う。ちなみに原稿用紙ほど文字数が決まってているわけではないが、私は手帳1ページにその日の出来事をピッタリ収めて書く、という「超能力」を持っていた。


このエプソンのワープロが出た頃がいわゆる「ワープロ」の全盛期で、そろそろパソコンが出回り始めたころでもある。パソコンといってもほとんどNECのPC98のことで、書店のパソコン・ワープロコーナーでは「一太郎」関係の本がかなり多く見かけられた。このあたりからそろそろワープロの限界というのを感じはじめてくるわけだが、まだパソコンというのは高価でヲタクなゲーマーの買うものというイメージであった。私が当時つとめていた会社でもエプソン製の98互換機というのをようやく一台導入したという時代だったが、実際の仕事では企画書、依頼書などの「文系」な書類の作成がメインであったため、ワープロの方が迅速・確実に仕事をこなせるという意味でメインで使われていたのだった(というか、その98互換機が何に使われていたか記憶にない私であった)。当時会社で使っていたのはOASYSシリーズであったが、その使いやすさに私はかなり満足していた。簡単なOSのようなものがあって、作成した文書の管理がこれまでのワープロにくらべれば格段にわかりやすいというのも、お気に入りのポイントで、あやうく個人的に購入してしまうところであった。ここで購入していたら、おそらくMacとの出会いが遅れていたかと思うとおそろしい。


しかし、私はそれでもそこから普通のパソコン使いに行くことは決してなく、必然的にMacと出会っていただろう、ということを確信しているが、それは当時、私がCanon NAVIというパソコンというかワープロと電話・FAXの合体したようなマシンに憧れていたということが証拠になる。このCanon NAVI、あまりの高額のために手が出ずにいるうちに、独自OS仕様のため(というかほとんどワープロ機という認識だった)時代遅れになっていったと思う。しかしこれ、今やネットにもほとんど情報はないのだがこのページなど見ると、タッチパネルでの操作や録音機能、カレンダー機能など、ほとんどiPhoneのコンセプトそのものではないか。というかこの時点でのiPhoneがCanon NAVIなのであり、こうしていまiPhoneユーザーとなっている私としてはおそろしい巡り合わせということを思わずにはいられない…。


さて、話は超脱線したが、ついに購入したカラクラで、まずはワープロとしての使用ということになる。はじめは文章がかければいいということで、シンプルテキストで書いていたが、いくらなんでもワープロソフトくらいないとプリントも出来ない(エディタではいわゆるベタ組しかプリントできない)ということになり、とりあえず安いワープロソフトを購入したのであった。これがソフト購入の第一号。このワープロソフト、その名も忘れもしない「フラッシュライター」。当時はFlashなんて存在もしないから、当然のことだがFlashとはなんの関係もない。パッケージもちゃんとしたものではなく、ボール紙でくるんだようなシロモノだったが、使い勝手はいかにも(当時の)Mac風で、直感的に使えて快適だった覚えがある。超格安ながら縦書きも可能なのであった。
Appleウィキというサイトに情報があり、そこにも「貧乏マックユーザーのため」のソフトと書いてあります(笑)。


これでワープロとしての使い方は完璧…。と思いきや、カラクラに合わせて購入したプリンターはモノクロインクジェットの「スタイルライター2」であるが、これがひどかった。いや、スタイルライター自体は評判がいいのだが、これまでのワープロ専用機で感熱紙やインクリボンにプリントしてきたものから見て、キャノンのインクジェット(バブルジェット)であるこのスタイルライターの印字品質というのは耐えられないレベルなのであった。バブルジェットという名前から連想されるように、インクが滲んで事務的な文書としてもそのままでは使えないという感じ。これではワープロ時代からの完全な「退化」である。それからまたかなり時間がたって、アルプス電気からパソコン用のインクリボンプリンタが発売されると、速攻で購入した私であった。インクリボンとはワープロに戻るみたいだが、これは退化の方向に進化の道を見いだすみたいなもので、私はこのプリンタを大絶賛だった。それくらい当初はインクジェットの品質が悪かったということで、アルプス電気としてもそういう認識の上でこれを開発したということだろう。このインクリボンはランニングコストがかなり高くつくので(使い込んでいくとインクリボンが絡んで切れて使えなくなるという事態も頻発…)一般人にはすすめられないのだが、墨文字の原稿がレーザープリンタなみのシャープなエッジでブリントできる(トゥルータイプとの組合せでキレイ)、ということだけでも「印刷用の版下として使える」という意味で、その価格に見合うものがあった。カラープリントについては、これも使い込んでいくとインクリボンの幅に縞模様が出てきて使い物にならない、ということになるのだが、とりあえずインクジェットよりはキレイという感じではあった。しかしこの後、急速にインクジェットが進化して、とくに写真用紙との組合せで写真なみの画質になったところで、このアルプスの製品は終わった。レーザープリンタも600dpiレベルならかなり安くなり、文字のみならレーザーの方がランニングコストでも安くなったといのも影響しているだろう。金銀メタリックリボンや白インクリボンなどもあったので、ほかのプリンタでは出来ない要素というのはあったのだが、あまりにニッチだということだろうか。


しかし、ともかく、当初はスタイルライターというしょぼいインクジェットしかなかったということもあり、基本的にブリンターで出力したものを、以前のように「版下」にして、個人紙をつくる、ということはなくなってしまった。これもワープロ時代からの退化だが、私は当時「漫画家」志望者というか予備軍ではあったので、ワープロで作ったものを最終成果物とするということは、本来のすべきことではなく、文章を書くということは、あくまで「マンガを描くための」準備作業にすぎない、ということからすれば、極めて順当なことなのではあった。


というわけで、その流れに沿うようにして、必然的にワープロというのは使わなくなり、書き物はエディターで、ということになるが、フリーのエディタで「Edit7」とか「YooEdit」からはじまって、「Jedit」に落ち着く、というのが当時のMacでのエディタ使いの人々の普通のルートであった。ようするに最終成果物でないのであれば、ひたすらに文章の内容そのものに立ち向かっていくしかないわけで、そういう場面では、縦書きはもちろん、見出しの大きさや、ルビや下線、右寄せ左寄せなんてことのすべてが意味がなく、ワープロ(ソフト)というものの存在がまったく意味がなく感じられてくるのだ。とくに「Edit7」や「Jedit」に搭載されていた2段カラムの機能は、長文を書く時に文章の前段と後段を同時に見比べたり、場合によってはカットアンドペーストで移動したりするのに非常に便利で、これなしでは文章は書けない! というくらいに重宝していた(ワープロソフトでそれをやろうとすると、前へいったり後へいったりするだけで、そうとうなストレスがかかる)。


まあそんなふうにコンを詰めた文章でも、別にどこかに発表するわけでもなく、準備、というひたすらに内向きな行為なのであるが、世が世なら(インターネットがあれば)、ブログを書いていたということになるわけだ。しかし、当時はインターネットすらまだ存在しない時代…なのだ。ちなみに当時はエディタなどのフリーソフトといったら、雑誌の付録もあったが、基本的には「パソコン通信」で入手したものだった。そもそもJeditはパソコン通信ソフトのJtarmのおまけとしてスタートしたものだ。ちなみに現在では原稿書きには「mi」か「MacJournal」を使っているので、ほとんどJeditは使わなくなってしまったが、なにかと文書ファイルを開くと自動的に起動して今も身近に存在するソフトではある。それはさておき、私が最初のホームページである「ひるますホームページ」を立ち上げたのが、1996年1月15日。まさに、13年まえのことなのであるが、それにしてもこの最初のホームページを「カラクラ」で作ったのだからすごいもんである。


(つづく)


2009年01月26日 01:04 by unicahier | トラックバック (0)

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