

このところ、映画の話題がまた周辺に飛び交うようになってきた。
我々の仕事の中にもしばらく途絶えていた映画DVDの仕事が再開されたということもあるのだろう。
そこで「ひるますはどんな〜」のシリーズとして、映画について覚書をかいておきたい。
まずは自分にとっての映画のはじまりというと、やはり怪獣映画。怪獣映画といっても、子供時代には即ゴジラ、というわけではなかった。ゴジラについてははじめて見たゴジラ映画が「怪獣総進撃」という東宝の怪獣が総出演するといういわば「色物」であったので、時代的にもゴジラとともに育ったという世代ではない。テレビやリバイバル上映などで、そこにいたる全作品はほぼ観ているが、ゴジラ映画の映画としての面白さを知るのはむしろ20代になってからのことだろう。子供時代には、ゴジラの登場しない東宝怪獣映画、つまり「キングコングの逆襲」だの「フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ」や、大映の大魔神シリーズ、初期ガメラなどの暗〜い作品が好みであった。
だいたいにしてそういった作品は田舎の古い映画館で観たわけだが、その映画館自体が古い、汚い(トイレなど最悪)映画館で、二階席など木材で組んだだけのもので、なにやら見せ物小屋のような風情。というよりむしろそこは見世物小屋そのものだったのだろう。子供のころ、夜更けにその映画館につれていかれたら、なにやら芝居をやっていて、たいくつにそれを観ていたことも覚えている。
そんな暗い映画館でよく観たのは、もうひとつ、怪談映画がある。夏となれば「納涼怪談映画大会」というものが催され、かならず足を運んだものである。子供なので、どうやって観にいったのかはよく覚えていないが、学校で割引券などを配っていたのではないだろうか。怪談映画大会はその汚い映画館のほか、市民会館のような大ホールでも観たのを覚えている。これも上映作品はほとんど決まりきって、四谷怪談、累が渕、雪女というところで、後で中川信夫という巨匠の作品だということを知るが、当時はなんども飽きずによく観たものだ。実際は、四谷怪談というのには、ほとほど飽きてしまったが、どうしても他の怪談映画が観たくて、がまんしていたところもあった。とくに心をひかれるのは「累が渕」である。四谷怪談以上に大人のイヤらしい絡み合いが描かれ、しかも導入の座頭殺しと続きの因縁話が直接には関係しないので、子供にはストーリーがよくわからない。なにが祟ってそうなった、という原因、結果の説明がよく分からない。分からないから、それに引きつけられてしまう、というところがあるようだ。この累…の「なんだかよく分からないけど祟られた」という不条理を現代に昇華させたのが「呪怨」だといってもいいかもしれない。
ところでこの汚い映画館は「コトブキ座」といって、中学生頃になると、ほとんどボルノ映画館と化していた。田舎の街にはあと二つか三つ映画館があったように思うが、結局最後まで残ったのはそこだったわけだ。それはともかく、そういう暗い映画館にゆくと、映画のポスターがいろいろと貼っていて、まだ観ぬ作品をあれこれ空想して楽しむのだった。また映画館の入口のショーウインドウには必ず映画のスチールが貼られていたから、それにも興味をひかれ、観てもいない作品を観た気になったりしていたものだ。スチール写真にあった怪獣対決のシーンが実際に観た映画にはなく、見逃したのかと思って、親にダダをこねてまた観にいったりしたことがあった。何度観てもそのシーンをなく、だまされたと思って帰ったが、今となれば、それは映画の一シーンではなく、映画の宣伝用に撮られたスチール写真だったということがわかる。映画は夢・まぼろしのようななもの、というのはここからも印象づけられることである。
東宝の怪獣映画は「中劇」とかいって、そこよりはマシな映画館でやっていたが、それだけでもなにか東宝ってのは金持ちなんだな〜という印象があった。東映は「子供まんが祭り」などで印象が強く、金持ちではあるけど軽い、テレビの会社みたいなイメージであった。で、東宝の怪獣映画の併映として、クレージーキャッツや若大将を何本か観ていて、当時はまったく面白くなかったが、後々の映画の素養となったことは東宝さんに感謝すべきことである。ただクレージーについては本当にタイミングが悪く、物心ついてはじめて観た植木等の映画が「日本一の男の中の男」という最低の作品であった。この映画、これまでの無責任シリーズとまったく同じシチュエーションでありながら、一切ギャグではなく、マジでサラリーマン出世映画にしたという感じのもの。大人になって無責任シリーズはほぼ全作品を観たが、やはり最低作品と認識した。そんなものを子供のときに初めて見たのだから、植木=つまらない、ということが刷り込まれてしまった。世の中、クレージーではなくドリフになっていた時も時である。そんな印象が、植木との出会いを遅れさせてしまったことを非常に悔やんでいる。植木を、というよりは監督古沢憲吾の仕事として評価される一連の映画を集中してみたのは、それこそ自分が「マンガ描き」として何かをつくろうとしていた時代である。「平成大逆転男」というひるますの出世作(世に出た作品という意味)は、タイトルからして植木等なわけである。つまり自分の内的な感性にもっとも近いものがそこにはあったのだが(処女作にはその作家のすべてが投影されるという)、それをそういう風に表現していい、ということが、そういった映画を観るまで、自覚されずにいたというわけだ。もっと早くこの出会いがあれば、また違った形で自分の人生をつくっていたことだろうと、と思うわけである。
そんなころから映画というのはテレビのなんとかロードショーでみるものという感じがつよくなり、映画館の記憶というのはあまりなくなるが、テレビの映画でいまも記憶に残るのは、なんといっても「猿の惑星」で、そのラストの衝撃は忘れることができない。荻昌宏さんがやっていた月曜ロードショーだったと思うが、この中では、クリントイーストウッドではなく、ジュリアーノジェンマがやったマカロニウエスタンのいくつが印象深い。これもようするに暗いのだ。それとピーターカッシッグ主演のフランケンシュタインシリーズ。この何作目だか分からないが、いわゆる「フランケンシュタインの怪物」が登場せず、犯罪者として追われるフランケンシュタイン博士が、自分の脳を他人に移植しながら、生き続けているという話があって、それがずっと忘れられずにいた。そんなふうにフランケンの怪物が出ないフランケン映画、とか、ヒーローの変身しない回のヒーローもの、みたいな、欠如によって作品世界のリアリティが印象づけられるいわば傍系的な作品が私の好みのようだ。レンタルビデオが普及するのですら、そのずっと後のことになるのだが、ビデオ屋のホラーコーナーにいくとついついフランケンシュタインものを探してしまうのは、実は、その映画がないか、ずっと探しているのだ。そしてそれはいまだに見つけていない。
などと書きつつ、思い出したのは、その月曜ロードショーでやったエッチな映画。変態男が女を監禁して思いのままにしようという今ならよくある話だったが、その細部がいちいちイヤらしくて、子供ながらに興奮したのを覚えている。これはあとで、これと分かったのだが、なんと巨匠ウイリアム・ワイラーの「コレクター」という作品で、あのころにこんなエッチな作品がしかも巨匠の作品としてあったとは…!!、と驚いたものであった。
コレクターのあらすじは→http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/THE%20COLLECTOR.htm
(バスルームに手をしばって閉じ込めたり、終盤で突然女が裸になるなど、あまりに刺激的)
さて、ふただび映画館が身近になるのは、「どんな本を〜」でもふれた「日本沈没」以降である。藤岡弘と小林桂樹、いしだあゆみの出ていた映画。それがきっかけで、自分はまだ小学生だったが、友達と一緒に近所の汚い映画館ではない、大きな街の映画館に電車ででかけていくようになっていた。このあと「エクソシスト」の公開によるオカルト映画ブーム、ブルースリーのカンフーブームとパニック映画のブームが爆発的におこり、そんな映画を友達とつるんで観ていた時代であった。「燃えよドラゴン」、「ドラゴン怒りの鉄拳」といったところから、パニック映画の「エアポート75」、「タワーリングインフェルノ」、「大地震」、そして「ジョーズ」というふうに立て続けに公開されていくわけである。
そこまでくると、世界の映画史というものと自分の中の映画史というものが連結していく感じがする。ようするに公開映画を観にいくというのはそういうことなわけだ。「ジョーズ」から「未知との遭遇」、「スターウォーズ」というのは、それこそ一連の流れの中にあった。
そんなわけで高校時代になるのだが、「どんな本を〜」で高校時代に読んだ本の記憶があまりないのと同じように、この頃はあまり映画の記憶もない。
しかし、映像表現そのものへの興味は高まり、NHKディレクター佐々木昭一郎(「赤い花」「ユートピアノ」)やテレビ版「座頭市」シリーズ(79年)の前衛的な映像に心を動かされていたが、なんといっても田舎者であったので、本来の芸術的な映画作品そのものを知らず、映画技法についての本を読みふけって、自分なりの「映画理論」とでもいったものを作り上げていった時代であった。
そんな抑圧が大学時代には一気に解放され、ほとんど毎週のようにオールナイトを観にいく日々であった。この時代、映画の見方というと、古典的な名作と現代の作品、とくにB級娯楽作品を同時に観ていく、というものであった。これは「本」の場合も同様で、「カラマーゾフの兄弟」と「酔いどれ探偵街をゆく」を同時に読むというようなものである。とにかくひたすら読みたい・観たいということで、今まで知らないでいた欠如を早く埋めていきたいという欲望がそこにあった。それはこの時代が「映画が文化だった」ということである。つまり、黒澤・小津・溝口を知らずして日本映画について語ることはできず、ゴダール、フェリーニ、ジョンフォードを知らずして洋画について語ってはならない、というような文化的規律みたいなものがあったのである。文化とは何か?ということは、伊丹堂の会話で詳しく何度も語っているので、そちらを参照していただきたいが、ようするに、文化とはそのような「しばり」であると同時に、それを介して(のみ)自分を表現しうるような、ヨリドコロなのである。
我々が映画を観に行く、ということは端的にいって、そういう意味での文化的行為なのだった。これを観ずして映画は語れないという枠組みのなかにおいて、映画を観、語り、そして映画を観るということがそれ自体で「表現」であるような、そういうあり方として映画はあった。あった、という過去形で語るのは、現在、映画はそういうものではないからだ。映画はある時点で文化としては終わったのだが、そのことをここではっきりさせておきたい。では映画はどこで(文化として)終わったのか。文化としての純文学は村上春樹によって終わったと思うが、同様な立ち位置にいるのが北野武だろう。どちらも高い評価があるが、文学として、あるいは藝術として一辺の価値もないところが共通している。ようするにどちらも娯楽なのであるが、作家本人は藝術のつもりが半分以上本気であり、しかしたいして文学的藝術的スピリットを持ち合わせてもいないから、それが形だけのものとなるし、またそれを文化的に享受する人々(大衆)が、これまた藝術的伝統をよく知りもせず、そのありきたりな手法に惑わされて高く評価してしまうという、共犯構造がそこにはある。
もちろん彼らが文化を破壊した、などというのではない。ただ彼らは文化が終わったところに立っている、というだけのことである。文化を終わらせるのは、文化の内部にある作品であるわけがなく、それは様々な、人が映画を文化としてはとらえなくなったというような社会的な変化の中で終わっていったわけである。そこにはただ個々の作品を消費するということだけがある。文化としての映画が終わったあとでは、我々は「私はどういう映画を観てきたか?」とは言わず、「あ、その映画は観たことがある」というだけのことなのだ。単なる事実として。
またここでは芸術的な映画をひとつの例として語っているが、芸術映画が文化だ、という意味では決してない。娯楽作品といえども、娯楽作品としての文化的な配置の中で、娯楽的作品としての意味と深さというものがある。ハードボイルド映画にはハードボイルドの、ホラー映画にはホラー映画の歴史と文化というものがあり、そういった文脈の中にあるものが映画であり、逆にいえば映画とはそういものなのだった。というわけで、話がそれたように思われるかもしれないが、ようするに私が映画を観た時代というのはそんな時代であり、それが私の「文化修業時代」だった。いまや映画は「文化ではない」と、私は思っているが、しかし、このように映画について語る、ということは、やはり映画を文化として語っているという矛盾した状態にあるわけだ。それは私の中に染み付いた「映画は文化」が、やはり身体的なものとして定着してしまっているからだろう。そんな場所から、当時観た映画について語るということは、これは絶対に(文化として)はずしてはならない映画を紹介する、ということと同義になるだろう。つまり、
ゴダールの「気狂いピエロ」。
アラン・レネの「去年マリエンバートで」と「二十四時間の情事」。
フェリーニの「甘い生活」「8 1/2」。
テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」。
そんなところが純粋藝術映画として。
娯楽作品なら、
ジョンフォードの「荒野の決闘(当時は「愛しのクレメンタイン」だった)
ヒッチコックの「裏窓」
コメディなら
マルクス兄弟の「我が輩はカモである」
ジャンル不明のルイス・ブニュエルの作品群。
こういった作品のどこが「絶対に観ておかなくてはならない」のだろうか。それはまずこれらの作品が本物だ、ということだ。これらの作品においてこそ、映画の本質を、その強烈なテンションと完成度ともに我々は知るのであり、あらゆるにせものをここから判断して切って捨てることができるのだ。映画という装置を手に入れれば、ある程度のにせものが簡単にできてしまう。それが複製藝術時代というものの本質なのだ。だからこそ、本物を知っておくことが大事というわけだ。そしてそこからは様々なにせもの・まがいものを愛す、という余裕の中での楽しみもまた生まれるのである。こういったことそのものがまさに「文化」というありようであることはすでにお気づきの通りである。例えばある本物をみながら、記憶はさまざまなバリエーションの映画とどこかで連鎖しあい、逆にくだらないB級作品を観つつも、そのどこかにまた全体としての映画とは何か?という背景の暗黙知が作動しているのである。
映画の修業時代からしばらく、10年ほどは、それでもまだ映画が文化であった時代は続いた。そんな時代にであった映画も多い。ヴィム・ベンダースなどはレンタルビデオや衛星放送で旧作をみたので、出会いが遅かったが、これもひとつの絶対に観ておかなくてはならない作品である「都会のアリス」「アメリカの友人」「パリ・テキサス」がありながら、すでに映画が文化としては終わったことを象徴するような「ベルリン天使の詩」(シリーズ)という作品もある。同じくそんな過渡を象徴するのが、タルコフスキーだろう。藝術映画の極地といっていい「鏡」があり、「ストーカー」「ノスタルジア」という傑作に至りながら、最後は「サクリファイス」という駄作を残して消えた。これもひとつ、映画の終りを感じた瞬間ではあった。タルコフスキーを観に行く、という行為自体が文化であったが、そのころから単館上映がオシャレなもの宣伝され始め(「ベルリン天使の詩」は単館上映ロングランの記録をつくったものだった)、それはただオシャレな男女のデートコースにすぎないものとなっていったのだった。ハリウッドでないローカルなヨーロッパの映画であれば、なんでもそういうところは上映したという感もある。そんなものが我々が取り憑かれるほどの文化になりうるハズもないが、けっきょくはそれは単なる反ハリウッドであり、結局はインドや東南アジアの映画がすごいというところに走っていくものなのだった。
そんな風に映画は終わっていったのだが、このところ、映画というのは面白くなっているようだ。それが「文化」なのかどうかは分からない。私も深くかかわっている名作映画DVD(名作映画コメンタリーを参照)も、ただ古くて安いというだけでなく、文化というものを再認識させる効果があるのだろう。この失われゆく10年、映画が終わってしまった後の10年に、私がただ一人、見続けているのはデビッド・リンチだけだが、その新作も発表されるらしい。と、いうこともあって、「ツインピークス」がブームになっているユニカイエなのであった。
2007年05月31日 16:08 by unicahier | トラックバック (0)
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