

ひるますの最新作「精神って何なんだ〜」が「カルチャーレビュー66号」に掲載されています。
こちらをご覧下さい。
↓
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re66.html
ってわけでこの項、前回より続くのだが、中学の頃から松本清張の政治傾向の強い「日本の黒い霧」などを読んで、ちょっと「政治的少年」となっていった私。ようするにちょっと「マルクス主義的」に走っていったのだった。しかし、そこからマルクス主義「哲学」という方向に行ったのはまだよかったか。ようするに「哲学」という根本に接するそのきっかけにはなったということだ。
ふつうはそっちに行くと「主義」というところにとらわれて、ようするに宗教のようにそこから抜け出られなくなるようだが、たまたま時代は「マルクス主義」というより「実存主義」というようなもんであったし、哲学の方では、私が関心を持ち始めたころより少し後になるが、日本における「哲学の王」といっていい存在である「廣松渉」が、マルクス主義の中から登場して来たところでもあった。
高校のころは、なにか熱に取り付かれたように、ものを作ったり、書いたり、議論したりしていたという記憶があって、あまり本を読んだという記憶がない。手帖によく日記を書いていて、大学生になったら、読書三昧にふけようと「計画」していて、実際、結果としてはそうなったのだが、そんなことを書くほどに、高校というのは(受験のプレッシャーもあったのだろうが)本を読んでいないと思う。そんな中で、友達と「大江派か開高派か」というような話をした記憶がある。ようするにブンガクでいうと、大江健三郎か開高健か、という話。私は当時、圧倒的に開高派を主張していたが、なんとなく開高のシニカルというか、現実や自分を茶化してみるスタイルが好みだったのだ。今となっては、開高の作品なんてほとんど意味のあるものは残ってないが、大江健三郎も、大江健三郎として確立するのは、その後のレインツリーとか同時代ゲーム以降であろうかと思うので、まあいたし方ないかなというところだ。
大学時代の読書というのは多岐に渡るが、こんなことは当時の大学生としては、当り前のことなので、、書いてもしょうがないような話である。とくに私としては高校であまり本を読まなかった反動というか悔恨があって、ふつうの(周囲の)学生に比べて読書量が圧倒的に不足していると感じていたので、とにかく手当り次第に読んでいた。私のいった大学は僻地にあったので、ほとんど本以外に文化というものとの接触がなかったので、それはある意味ではいい環境なのであった。
またこの僻地の大学には、いまや世間学会で親しくさせていただいている佐藤直樹氏、またほとんど思想家といっていい存在だったT氏、哲学科の先輩であったM氏などとの出会いがあった。佐藤氏やT氏とは今思えば「全共闘」の名残のような文化的環境の中でいろいろと教えていただいた。テキストとして吉本隆明の本を読むことが多く、廣松などの本格派哲学に傾倒していた私には、吉本はあまりにブンガクすぎてついていけないところがあったが、それはともかく、そこでは徹底して自分のコトバで思想を語るということを教えられたと思う。ま、教えられたといっても、それがダイジということを徹底して自覚させられた、というのが実情で、それが自覚できたからといって、すぐに自分のコトバで思想が語れるわけでもなんでもない。アラユル技術は修練の賜物であって、自覚(意識)は関係ないといえば関係ないのだった。当時の思想にかなり近いのは、ひるますの臨場哲学ホームページにもバックナンバーとして「ひるますのショキロン(初期論文集)」というのがまだ残っているが、なんというか…橋本治のパクリみたいな文章で苦笑ものである。
橋本治というと「シンデレラボーイ、シンデレラガール」と「男の編み物手取り足取り」。これにつきるか。ずっと後になってから、「シンデレラ…」がカワデ文庫かなにかで出たので読んだら、ぜんぜん面白くなかったが、ほんとうにあの時代のあの自分にその本という絶妙なタイミングでこそ意味があった本というのだろうか。どこかに書いたことがあるが「ほとんど20歳にして隠居しようとしていた自分に生きよ、と言ってこの世にひっぱり出してくれた」のが、この本であった。
そんな風に強く影響を受けたわけだが、いま言ったように生きることの修練ができていない以上、すぐになにかができるわけでもない、…ってわけで、私の彷徨はまだまだ続くのだった。
その後はポストモダン、ってわけで、日本の思想界には浅田彰と中沢新一が登場し、華やかではあるがある意味どうでもいいおしゃべりという状況を迎えた。今にしてみれば、浅田彰の思想からはなにも生まれることがなく、中沢はオウムを生み出して自滅、余生はお茶を濁している。そんな中、私は栗本の「意味と生命」という本に出会った。この本こそ現在に至るまで私の哲学的思考の中核となるものとなっている。私にとってはもっとも重要な本である。その後、栗本は政治家となり脳梗塞でいったん世の中から去り、再び舞い戻って飛鳥文明と古代シリア文明がどうしたこうしたとか、なにやらわけのわからない話をしたり、小泉の暴露話をしたりしているのだが、そんなことはどうでもよく、ただこの本に書かれたコトだけが重要なのだ。
ちなみに栗本はまだ政治家になる前に、NHKのテレビ講座に出演し、坂口安吾についての講義を何回かに渡って語ったのだった。栗本は坂口安吾をもっとも尊敬する・ファンを自認する作家であると紹介し、しかし、今まで自分の本の中で安吾について語った事はほとんどない、なぜなら、一番好きなものは最後までとっておくからだ、と言っていた。ようするにそれが「最後」であり、それは栗本の遺言のようなものだったと今は思う。安吾を読み出したのも、それからだが、通常の安吾読みとしては遅い方だろう。ふつうは開高でなく安吾を読んでるはずだ(笑)。もうひとつ、栗本が安吾について語っていたことで、安吾なら自分の本、たとえば「パンツをはいたサル」などを、そっけなく「きわめて当り前のこと」といってのけるだろう、というのがある。自分の思想・哲学というものが、なにか人を驚かせたり、関心させるものではなく、きわめて当り前、と受け止められることこそ、ひとつの基準であるということを、その言葉から教えられた。
この「意味と生命」が、私にとって重要な本となったことは、たとえば「La Vue」の読書アンケート特集などにも書いたことだが、しかしこれまた振り返ればそういうことが言える、ということなのであって、そこに重大なヒントがあったからといって、それが原因となってなにか新しい自分の立場というものが作られるというものでもない。当時は、私は同時にユング心理学にも興味があり(それは今は易断というものにつながっている)かなりにオカルト的な精神世界的な考えもまたもっていたのである。世が世なら中沢になっていたかもしれないのである(笑)。
結果的には、オウムという大事件もあり、その後、精神医学関連の出版にかかわることになり、精神医学的な考え方の中から改めて、以前はたんなるポストモダンと見なしていたラカンを見直すというところに来ていた。そこに、なんと偶然にもラカン読みであり、同時にベイトソンの哲学を現代の生命哲学(オートポエーシス理論)とあわせ自分の思想を確立しようとしていた斎藤環が登場してくることになる。偶然の機縁があり、その彼と直接あうことも出来た私は、また彼とは違った道筋から、ラカンと栗本の統合…としての「オムレット」を書き始めることになるのであった。
これが偶然の符合というのは、じつは私の「月刊ひるます」というフリーペーバーマガジンの第一号がなんと「ベイトソン」についてのエッセイだったというのがある。そしてかの「意味と生命」の中で、栗本はベイトソンを批判しつつ、その根幹がじつはマイケル・ポランニーの思想にあることを暴いてみせていたのである。「ここはベイトソンがポランニーであったというところである」と、どこかで明確に語っているはずだ。斎藤環が「意味と生命」をよく読んでいたら、おそらく彼の最初の著書『文脈病』のサブタイは「ラカン・ベイトソン…」ではなく、「ラカン・ポランニー…」となっていたはずだが、もちろんそんなことは後で思うことなのだ。
そんなわけで、私は「オムレット」を書いた。その後、「オムレット」はあまり売れなかったので(笑)すんなり続編が作られることはなく、「伊丹堂のコトワリ」など対話シリーズを書いて現在に至っている。この間もさまざまな本との出会いがあったわけだが、それはこれまでのような出会いとはかなり意味合いが異なる。つまり、「オムレット」という一つの場所から、そこで出会われる様々な本が評価されるというような、あまり新鮮さのない出会いという感じといったらいいだろうか。
非常に不遜な言い方ではあるが、ある意味で、私にとって「本を読む」ということは終わってしまったことなのだろう。本を読むことが終わってしまったところから、また何か新しいことが始まる、いまはそんな階段の途中の踊り場にいるような、そんなところであろう。
2006年10月08日 03:32 by hirumas | トラックバック (0)
この記事のトラックバックURL:http://www.unicahier.sakura.ne.jp/uni/mt-tb.cgi/1176