ユニカイエ

占い師・ひるますの巻

ひるますの気まぐれコーナーというふれこみのこの「ホットライン」だが、このところ、よ〜するにひるますの自己紹介コーナーと化している。 曰く漫画家だ、プロデューサーだ、哲学者だと。ついこのまえは別人ひるます、というのも紹介した。ま〜そこまでやればだいたい尽きただろうと思われるだろうが、 まだまだひるますには知られざる側面がある。それが今回のテーマ、占い、である。
 すでに「ひるますホームページ・臨場哲学」をご覧いただいた 方であれば、ひるますの「新・哲学占い」というコーナーがあるのに気づいているでしょう。ここは一応、有料で占いを行っているサイトであり、そ〜いう意味では私、 ひるますはプロの占い師なのであ〜る、と言えるわけだ。しかし、そもそもその「新・哲学占い」ってなんなんだ?


●それは「易」から始まった。

 というか、その臨場哲学ホームページをみてもらうと分かるが、新・哲学占いというのは、易なのである。
 で、私がいつから易をやっているかというと、これが古い。月刊ひるますというフリーペーパー(個人コピー雑誌?)に易のことを書いたのがなんと1992年だから 10年以上前のことなのだ。で、このときは「シンクロニシティ」の研究というテーマで書いていて、その中で例によって易にふれている (その後、ホームページに再録したので、ご参照ください)。 「例によって」というのは、シンクロニシティ(いわゆるひとつの偶然の一致)について語るときは、易について語るというのが、いわば定番であったからだ。 そんな定番なんて知らん、という人もいるだろうが、ユング心理学や、いわゆるスピリチュアル関係をかじっている人達の間では常識ということになる。
 そういう意味では、私も当時はかなり「スピリチュアル」な思想傾向のただ中にいたわけである。まだまだ哲学者ではない私であった(笑)。 92年といえば、オウム地下鉄サリン事件(95年)以前。心霊や超能力について語ることに、おおらかな時代であった。中沢新一のような学者か宗教家か分からないような 考えが普通に「思想」として受け止められていた。95年のオウムを契機にこういったスピリチュアルな領域にいた人々はそれぞれに自分の思想との対決を迫られたわけで、 それを乗り越えて、いま、われわれが思想を語っているというところがある。
 今年はそのオウムから10年、その風化が言われるが、実際問題として、そんな事件があったとなど忘れてしまったかのように、巷には心霊やらまやかしの霊視、 占いなどが氾濫し、テレビでもそういったキャラがもてはやされている。スピリチュアルな人々もまた何ごともなかったように、安直にそれを語っている。というか、 以前にも増して、ひたすらに「自分自身の癒し」というナルシスティックな方向に引きこもっているように見える。


●易の研究

 話が大幅にそれてしまったが、そういうわけで、オウム以後の思想的課題というものを一言でいえば、いかにして「宗教にならずに」生きる意味を語りうるか、 ということ。私的にそういったものを表現したのが、「肥留間氏の魔法の本」というマンガだった。あえて「易」とか「星占い」という際どい?テーマを選んで、スピリチュアルなだけ では終わらない、後の「オムレット」の基盤をつくったのであった。
 またこのときは、ちょうど佐野元春、下村誠などの音楽関係でのつながりから、鈴木貴士氏と同人誌「グレートアンバランス」を立ち上げたので、そこに連載。この雑誌はいわゆる 「3号雑誌」で、ほんとに3号で休刊になってしまったが、いま振り返ると、いろいろと意義ぶかいものなのであった。(ちなみにその鈴木氏はさいきん転職したそうで、 そのエピソードがまるで漫画かドラマのように面白い。→鈴木氏のホームページ参照)。


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ひるますが鈴木貴士さんと
作った同人誌「GU」第3号

 
 さて、易の話はその「グレートアンバランス」の第3号に掲載。易を神がかりなものではなくて、現実を読み解くための「見方」とでもいうようなものとして 示したのだ。
 これはたぶん今でも鈴木氏が在庫をもっているので、そちらにお問合せいただければ読めるが、その中心となる「現実=リアリティ」とは何か、ということは、ほぼそのまま 『オムレット』 の第4章に転用しているので、それをご覧いただくのもいいかもしれない。『オムレット』第4章というと、まさに『オムレット』の中核ともいえる部分だが、 そこに転用されるということだけでも、この「易」のマンガが生半可なものではないということが分かろうというものか?
 またここでは簡単に「易」をやる方法も解説した。
 簡易型の易占いというのは、コイン3枚をつかってそれを降り投げ、表裏の数によって易の「卦」を読むというもの。実は私の易も筮竹ではなくて、このコインを使ったもの。 あとは易の「卦」を読むためにその解説本として朝日文庫版の「易」上下2巻が必要。


●易の修業時代

 この「グレートアンバランス」が95年から96年にかけて発行されて、ほぼ同時に私は「ひるますホームページ」も開始。96年からはじまった「老舗」ホームページなので、当時のホームページ紹介単行本などにも紹介されたりした(「インターオタクネット」なんていう失礼なタイトルの本だったな…、あと「インターネットイエローページ」の何号だったかでは、筒井康隆サイトの隣に掲載されて、意味もなくにんまりとしたりた、笑)。それとヤフ−にも早くから登録されていたので、いまだに「ヤフーはソフトバンクのものではなく、オレのもの」という感覚がある(爆)。
 閑話休題、その初期ホームページでは、日記的なエッセイ、書評などを書いていたが、メールでの易占いも告知して、これをかなりこなしていた(というか、ヤフーも最初は「占いサイト」として登録されていた)。トータルではだいたい百件程度だろうか。これは完全に無料でおこない、私自身の易の勉強にさせてもらった。
 易の占い自体は非常に簡単なのだが、その「答え」となるものを「易」の本の中から読み取るには、それなりの直感というか、熟練というものが必要になると思う。ようするに「易」の本に書いてあることというのは、きわめて抽象的というか、暗示的である。それをいかにして「現実」と結び付けて読み解くかというのが、その熟練の必要なところだ。と、いうと、なにか抽象的な文言に対して、勝手な解釈をほどこすのが易だという印象を与えるかもしれない。たとえばノストラダムスの大予言のように。しかし、ここでは逆にそういう風に勝手な解釈にならないようにこそ、そのような修業が必要なのだといっておこう。実際、占いは言いっぱなしではなく、その反響というものに常にさらされていて、そこがまた修業になるというわけなのだ。
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●新・哲学占いの誕生

 そのメールによる易占いもかなりそれに時間をとられるようになってしまい、しばし休業宣言。『オムレット』刊行後、伊丹堂の対話シリーズを書きつつ、再開となった。このときから、単なる「易」ではなく、独自の「新・哲学占い」というネーミングにした。上の伊丹堂のイラストで手のひらに「理=コトワリ」という文字が書いているのが象徴的だが、易をことさらに「吉凶」という神がかりなものとして妄信せず、あくまで現実の中の「ことわり」を読み解くという方向で使おう、というのがその主旨ともいえる。これについては、伊丹堂と獏迦瀬の対話として「新・哲学占いってなんなんだ〜」というのを書いているので、そちらもご参照いただきたい。そこにも書いているように、本来の易というのは、そういうもんなのだが、基本的には昔のものなので、いろいろと宗教的というか迷信的な部分にまみれてしまっているので、それと違いを明確にしようということである。
  実際、ここでの占いは継続しているので(現在は有料、ただし結果を公開する場合は無料)、興味のある方はお試しいただきたい。なお上の伊丹堂の対話のページに占いについての簡単なルールを記載しているので、それを一読ください。


●付録・易の卦について

 易は、陰陽を現わす爻(こう、つまり−か--の棒ですね)の組合せで出来た卦(け)のイメージを読み解くもの。この卦がいわゆる八卦というように八種類あるのだ。この八卦が上下二つに重ねられたものが易で読む「卦」で、8×8で64種類となる。ここでは基本となる八卦を紹介。易の判断を説明する際には、この八卦によって解説するので、下の図を参照していただくと幸いである。

天のイメージ
剛、積極性をあらわす

雷のイメージ
「動き」をあらわす

火(太陽)のイメージ
「付く」性質

沢のイメージ
「よろこび」をあらわす

地のイメージ
順、柔、受動性

山のイメージ
停止をあらわす

水のイメージ
困難に陥ること

風(木)のイメージ
「入る」こと


2005年04月25日 16:02 by hirumas | トラックバック (0)

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